現在の教育の〇〇をなくす その3
現在の教育に当たり前のように組み込まれているものについて、もしもそれを無くしてみたらどうか?と根本から再考しています。
前回の続きを書きます。
前回は「学年」「授業」について再考してみました。
教室をなくす
教室がなくなったらどうでしょうか?
生徒は朝登校してからまず教室に入ります。クラス制の朝HRがあります。その後に時間割に沿って教室で授業を受けます。時には理科の実験室や体育館に移動して授業を受けますが、基本はそのクラスの教室です。
海外や日本のいくつかの学校ではクラス(担任)制の概念がなく、生徒は登校してから各授業の先生がいる教室(部屋)に行って授業を受けているような学校もあります。
1つの教室にずっといるというのは、人間関係もおおよそ変わらないということです。生徒からしたら人間関係を縛られることになります。先生からしても、担任制の場合、その生徒たちをずっといることになってしまい、両者にとっては自由度がないことから居心地を悪く感じてしまう人もいるかと思います。
そこで、日本でも麹町中学校を筆頭に、教室(クラス担任制)を廃止した学校も出てきています。
また、N高等学校のような通信制の学校には毎日通う物理的な教室がありません。ネット上に集う「教室」があります。自宅や図書館、学習センターなど、個々の生活スタイルに合わせて学習場所を決めることができます。
かつての教室とは違った学習空間や、コミュニケーション、人間関係があってもいいと思います。
先生をなくす
先生は必要でしょうか?
教科を教える人という意味での「先生」の必要性は薄れていくでしょう。
なぜなら、先生を介さずに動画やICT機器で学習できる時代ですから。
進路の相談や悩みを聞いて解消してあげる存在での「先生」は機械では代替できないので必要ですね。ですが、どの先生も進路やキャリア設計のプロでしょうか?悩みを解消できるメンタルサポートのプロでしょうか?中にはそう行った知識やスキルを研鑽したり、講習を受けたり、資格をとったりしている先生もいますが、全員がそうではありません。というか、そんな時間は今の先生にはないかもしれません。
そういう状況から、学校内にキャリア支援やメンタルサポートのプロを配置し、外部リソースを上手く使って生徒や保護者のニーズに応えることは大切ですね。
逆に、そうでもしないと、今の教育変革期を乗り越えることは難しいかもしれませんね。。。
まさに今は先生の役割の再定義がなされる時ですね。
教育の〇〇をなくす、次回に続きます。