現在の教育の〇〇をなくす その1
昨今は教育の変革期です。
今のままの教育では、子どもたちは社会でやっていけないのではないか?世界で仕事をしていけないのではないか?そのような危惧があります。
明治から続く現状の教育制度に限界がきているようです。というか、制度がここまで大きく見直されてこなかったのが不思議なくらいです。
そのような危機感は先生のみならず、保護者も感じています。さらには生徒までもが今の教育のあり方に疑問を感じているようです。
今では全国で様々な取り組みが行われています。教育現場にICT機器を導入したり、海外の手法を実践してみたり、色々な実践や研究発表の場が設けられています。
しかし、どれも抜本的な改革とえるものは多くなく、スモールアップデートな変革が多いです。
私もこのようなことを再考しようとしたきっかけが、ある教育関係者向けのイベントで知り合ったカトウさんのブログを拝見したことです。
〇〇をなくす
上のカトウさんのブログでは、現状の学校教育で当たり前のようにある「カリキュラム」、「校則」、「教科書」、「授業」、「教室」をなくして、ゼロベースで考えることを提案されていました。
確かにそうです。それぞれを小さく変えることももちろんですが、大きく根本から見直すことも重要です。
そこで、もしもそれらがなくなった場合を想定してどんなことが起こりうるのかを考え、どのようになったらいいのかを私なりにも考察したいと思います。
考察する対象は、以下のものです。
・カリキュラム
・学年
・授業
・教室
・先生
・校則
カリキュラムをなくす
カリキュラムは必要でしょうか?先生からしたら教えるべき項目が不明であれば何を教えていいか分かりませんね。
ただ、全員共通のカリキュラムは必要なのでしょうか?進度はその生徒の能力によっても変えるべきでしょうし、内容もその子が学びたい内容も入れてあげるべきです。
つまり、単線型にするのではなく、複線型にするべきです。コアな共通カリキュラムは残しつつ、独自に選べるカリキュラムも添えて、生徒たちのキャリア形成を多様なものにした方がいいです。
【参考】
将来、個人としても自分の就きたい職業につきやすくなるでしょうし、国としても全体的にみて生産性の向上、機会損失の回避につながると思います。
今回はここまでで、続きは次回書きます。
次回